一昨日久しぶりに もともと日本商社の上海事務所で働いていて、今は独立して自分で会社をやっている上海人のSX君と食事をしたのでその彼のことと僕らとの接点について話していきます。
1、 今47歳 上海の大学を卒業後 大手日本アパレルブランドの上海事務所に就職
2、 2001年日本の大手総合商社アパレル部門に転職>初めは原料部門>そのあと貿易(主に日本への輸出)
3、 2008年ごろから内販担当
4、 2012年 部長まで昇格
5、 2017年 退社
こんな感じですが、今も彼と協力して仕事をしているので今後もいろいろこのブログに登場すると思います。今回は“その1” ということで軽く触れます。
A、2001か2年に僕は彼と縁あって知り合いました
B、2015年に彼と再会して中国内販ブランドのセーターを生産させてもらいました
C、彼が退社後、バングラディッシュ生産の人を彼に紹介してからまた連絡を取り合い、僕は日本の布帛物を彼にオーダーするようになり、今も引き続き取引をしている、というかに協力関係にあります
彼は日本の商社ST(以下はこう書きます)が大好きで、そこで学んだ仕事、培った人間関係が財産であることもわかっています。日本的な精神論も大好きですが、中国人なので当然中国的な現実的視点で見ることができるので、調整力があるというか、会社にとっても日本人の上司との関係、中国内販との連結など、彼は重要な人物だったはずです。実績も立派だったので部長まで昇進しています。この商社STの日本本社でも部長まで勤め上げるというのは簡単なことではありません。
その商社の日本人の人とも何人か知り合いがいますが、彼は“日本人よりも日本人だ”ということを言う人もいました。なんでも一生懸命やって、結果も出して、商社上部の人にも可愛がられていたと思います。
退社する前に再開して 内販ブランドのオーダーをちょっとやらせてもらった時に 検品会社の中国の人からも、SXさんの活躍はすごい、とか結構なビッグオーダーの持ち主でした。
退社後は、中国(日本も一緒と思います)ではこう言うことはよくありますが、その彼の人間関係、実績を“うちの会社で使って、自由に商売してくれ!”という友人かその人間関係の中にいた人か、と話し合って役員扱い的な感じで転職したのだと思います。
この辺は詳しく聞いたわけではありません。ただ、彼の人間関係、商売金額のレベルとは全然違いますが、僕が小さな上海の会社でまだ勤めていて必死で営業していた時も こう言う誘いというのはいくつかありました。規模の大小にかかわらず、こういう話は意外と長く持ちません。相手はいくら 親友だ! 好きなようにやってくれ!と言ったところで 利益が出なければ “お荷物扱い” で結局は別れることになります。日本人にもこういう話を持ちかけられて、エージェントのように振舞って、結局大したこともしないでやめた、という人を何人も僕も見ています。でも、これは裏切られたのではありません!自分の実力がなかったので、捨てられたのです。これは日本人も中国人も一緒で、力があれば生き残っているはずです。仕事ができない奴は必要ないのです。
SX君が転職して『力が発揮できなかった』?というわけではないはずです。しかし、結果を出しても 責任の所在の問題とか、収入の計算のやり方とか、こういういことで“なんでこれだけしかもらえないの?” というようなことで揉めることもごくごく普通に起こります。こうなるをすぐに 関係もすべて終わりということです。
彼は(僕もそうなんだけど)日本的 浪花節というか、人情に脆いというか、そういう面が強いので、中国人なんだけどその彼の友人の中国人ほど中国的でないはずなので、このあたりの価値観がわかってくれる人としか一緒にやれないでしょう。リアルな細かい契約書とかが苦手で、『一緒にやっていこうぜ!』 という感じの “いいやつ”なんですよね。
僕は彼が独立する前からするまでのことをよく知っていますが、僕も同じタイプの人間で失敗したことも多くあるのですが、彼が自分で会社を作るのは大賛成、それで協力してやっていけばいい、会社と会社で普通の取引をすればいい、彼の1番の財産の人間関係を使って僕らを利用することを考えればいい、というようにアドバイスをしました。今僕はそれを実行しているので彼は僕のことを信用してくれているということです。軽くうちの会社で一緒にやろう!とかは絶対にいいません。
今回は主に今年のオーダーについて彼がプロである布帛の部分と、彼の手下の人がやってくれるカットソーの生産工場の話をとりあえずして、飲みながらの話となりました。
“その1”の話題としてひとつ取り上げると、
独立して これからどうやっていくか??という話題です。
彼の経歴でも 日本商社STで2008年内販部門へ、とあるように、この頃からアパレル企業も中国販売に力を入れています。ユニクロみたいに大成功する会社も店舗を出していますし、イトキン(このときはすでに中国法人に売っていたか?)とかはもっと前から中国進出していましたし、日本の小さいブランドとかでも中国出店する会社もあり、製品だけではなく、アパレル原料、付属品や企画販売など、商社STも中国販売重視で今は日本への輸出額よりも中国販売の売り上げの方が上回っているということです。
つまり、SX君は商社の仕事で日本を中心に世界を飛びまわって仕事をしていてそれもその人間関係もすごいのですが、もっとすごいのはそのあとの内販の中国企業やサプライヤーとの太い関係です。そこから大きくなったネット販売ブランドなどもあります。
あまり具体的とも言えませんが、例えば
1、 彼がその商社にいた当時からやっていましたが、日本の生地や糸を輸入して中国で販売する>>>これはすべての企業が望むことです
2、 日本のアパレル会社や企画会社のデザインや企画を提供して中国の会社から企画料を受け取る>>>これは中国の情報力や企画力発達、有名デザイナーの台頭とかで今は少なくなっている
3、 日本のブランドの中国出店を促進する>>>これも日本の専門店系のブランドがそのまま日本と同じものを売るというは難しいですが、出店したい企業はいっぱいあるはず
他にもありますが、こういうことを彼はやってきていました。今は アパレルにこだわらず、日本の会社と直接中国のブランドやネット業者を結びつけて、中国で売れる日本製品もしくは日本規格の商品を中国へ輸入、販売してその会社に貢献する、というのが最もいいかなと僕は思っていて、大きなことができなくても我々に適する程度の会社でも見つけれたらチャンスはあると思っています。今回もそれを具体的にどうやるか?僕は何をできるか?とか話し合い。
ただ、アパレルのことをずっとやっている我々は何かアパレル脳になっていて、やめたいけど、簡単にやめれないのでしょうか? 僕もそうだけど、まだアパレルで働けるうちに、それをやりながら次の手を打たないと!いつもそういう話になります。
彼に悩みもあるのはわかります。大商社で大きな取り組みとして商売をやってきた。そんな大金額をそのまま個人の会社でやることは資金的にできません。中国の人間関係もBIGすぎて、独立してからは相手にされないこともあるかもしれません。俗に言う、“大商社の看板がなくなる” ということですね。
サプライヤーも以前の商社経由のビッグオーダーは期待できないと思って 手のひら返す奴もいるかもしれません。そもそも我々の昔ながらのやり方がもう通用しないかもしれない。若い人たちの発想についていけていないかもしれない。
小世界の中かもしれませんが、ずっとこのような(小?)激動の中で生きていることが改めて認識できます。ぼ〜っとしてたらすぐに飲み込まれるような存在だということ。いや、もう彼とも昔の話とかするのをやめて、今度はもっと具体的なアイデアまで考えて資料も作って持っていき、有意義な飲み会にしよう!!!
また商社、彼、のこともいっしょに書いていきます。
2021年 7月4日