今日は 本業のアパレル生産の話です。
今日は蘇州の工場での仕事の日です。今後のことも考えて週3日くらいは蘇州の工場に来ています。写真のセーター工場の光景はアパレル会社に勤めて中国の工場に出張に行ったことがある人にはよく見る光景だと思います。
プロフィールにも書いていますが、主にレディースのセーターと、それに関係するアパレル用品の生産、輸出、一部の中国の内販の生産をやっています。初めてなので 僕が経験してきたセーターの中国生産場所と、周りの状況を簡単に説明します。
1、1992年、なにもわからず東京のアパレル企画生産会社へ就職したころその会社では、日本のセーターのオーダーを台湾と香港のメーカーへオーダーして経済特区である広東省で生産、香港の港から出荷したものを輸入して卸売していました。上海生産も始めたばかりで かぎ針のセーターを小さい会社にしてはまあまあの数をオーダーしていました。その当時の上海の国営企業の上海抽紗進出口公司は全く様変わりしていますが、今も実存しています。ただ、大阪のまあまあのアパレル問屋がその頃すでに僕が語学勉強をしていた瀋陽にオーダーして作っていたのには驚いたものです。
2、1992〜95年までの中国生産での製品コストはある程度の商売はできる程度の利益はあったと思います。しかし、その時の(香港 台湾の会社の生産地としての)広東省と上海では明らかに上海のコストが安かったです。ただ品質は?と言えばまだ広東省の方がかなり上でした。1993年から香港の事務所に出向になり自分で広東省の生産地であった東莞(Dongguan)、恵東(Huidong)、中山(Zhongshan)に検品や生産管理でほぼ毎週工場に行っていましたが出荷時は 徹夜も当たり前のような状態でした。この時点で台湾のまあまあのビッグメーカーはベトナム生産もやっていました(もっと早くからもタイとかで生産していた会社もあったはずですが)。何しても広東省のどこへ行ってもオーダーはパンパンで世界の生産がここで行われているという感じでした。
3、95年から上海に移り、自分で営業もしてオーダーを取って生産するということを始め、運良くお客さんにも助けてもらって、その当時の上海では破格だった日本人の普通のサラリーマンくらいの給料分の働きは十分していました。生産していた場所は主に上海の金山、奉賢、浦東、江蘇省では蘇州・無錫・張家港、浙江省では嘉興、それと今でもまだ付き合いのある広東省のスワトー(汕頭 Shantou)でした。98年から独立して同じことを続けていましたが、もともと小さなロットを小さな工場で対応していましたし、フットワークも良かったこともあって、2010年くらいまでは同じような工場で値段も対応してやっていけていたと思います。
4、2010年くらいからベトナム生産は勿論、カンボジア・ミャンマー・バングラディッシュ生産を始める日本の会社も多く出てきました。その安さにもう中国もダメか?思ったものです。利益率も下がってきて もうダメもうダメ、、と毎日思いながらお客さんとも相談して、工場にも頑張ってもらいながらギリギリで乗り越えた数年だったと思います。生産場所はロットの小さいオーダーも結構あったので、特別に変わったところはありませんでしたが、赤字の年も出たり、金を払わないお客が出たりで、気持ちが晴れるような時はほとんどありませんでした。しかも日本の単価は不思議なことにどんどん下がっていって、中国のコストはどんどん上がっているのに 僕らは2021年の今だに蘇州(セーターには生産工程が多く編み立てやリンキングなどは安徽省や河南省でやっている場合もあるものの)をメインに生産しています。ということは安い素材しか使えないし、当然利益が少ない!ことになりますね。
という感じです。
しかし、今のような苦しい状態は98年に独立した頃から中国の発展のスピードを感じていると、3〜5年でやってくると思っていました。それが今の今まで 納得できるわけではないですが、人にそれほど迷惑もかけずに生活できているのは、大健闘といえば大健闘?。いや、同じアパレルでも もっと成功している人は山ほどいるんだから 上を見ないといけませんが。ユニクロがやっているようなSPA をどんな会社でもやろうと思えばできると僕は思っているのでいずれは育ってくれた生産者の中国の工場側に立ってオーダーを取るか、日本のお客さん側のアパレル生産会社の嘱託社員とかで働くか?? アパレルにこだわるなら僕のこの後の残された道だと思います。できることなら苦しいセーター生産には関わりたくないですが。
なんかプロフィールの詳細を語って人生の終わりが来たような話になりましたが、中国生産がなぜギリギリでもやってこれたのかという理由には、日本のお客さんの事情もあります。
A, 定番商品はまだマシとしても、いくら安くても3〜6ヶ月もかけて(もっとかかるのもありますが)生産している間に、流行ではなくなって売れないとか、その色が売れなくなるとか、納期が遅れて売れなくなるとか、、。東南アジア生産は原料や付属品などを中国や他国から入れないといけないことが多く、確かに時間の管理が難しい。中国生産のように一部の糸が上がりました、それを先に生産しましょう、というわけにもいかず、全部の糸が染め上がって揃ってからバングラディッシュに船積みして全てが揃わないと生産開始もできない、、という歯がゆいことが普通に起こります。原料の船積みだけでも中国→バングラディッシュで その当時だと通関切れるまで3週間はかかっていたはずです。今は早くなっていますし、今後陸送などでもっと改善されてくると思いますが。今でも 1ヶ月も2ヶ月もかけて糸がバングラディッシュに着きました、はい作りましょう、その間に中国生産のものはすでに店頭で売り始めている、、もう追加オーダーもかけている!というようなことは普通にあります。時間か?値段か?我々にはその時間を求めるお客さんが多いということですね。値段も叩かれますが。
B、当たり前ですが、リスクが少ないのは売れる商品を早く作る!(もっといいのは売れてから作ることですが、、トヨタの車とか ニトリの注文家具みたいな付加価値は我々が生産するようなセーターにはないのでこれは成り立ちません)この単純なことを少し高いコストでやる会社がファッションアパレルブランドではほとんどです。ユニクロみたいなビッグオーダーばかりではなくZOZOTOWNとかでよく売れているブランドにしても1型 500〜1000とか 200〜300も、50〜100のオーダーでやっていっている会社もいっぱいあります。そういう小さいオーダーは当然中国しかできません。在庫は一番大きな問題です。その小ロットのお客さんも我々にはいるので、その仕事はまだあります。
C, 今はインド、マレーシアはコロナの状況悪化、ミャンマーはコロナ+クーデター、ベトナムも少し悪化、他の国はよくわかりませんが、こういう状態だとアパレル用品のオーダーは欧米のも日本のも中国に戻ってきます。東南アジアへのオーダーが、今までもその国状が不安定という理由で何回かこういう風に生産場所が中国に戻るということがありました。僕らがこれの恩恵を受けたということは全くなかったですが 今現在はオーダーが非常に多いという話を聞く工場もあります。当然 中国内販ブランドのオーダーも東南アジアで生産していたものもあるわけですから、それが中国生産に戻れば中国の工場のオーダーが多くなるということですし、日本のオーダーもミャンマーで作っていたものが納期が計算できないなどの理由で作れなくなり 中国の安い生産地の山東省とか、江西省にオーダーをやり直すということは、今現実に起こっていることです。ブランドや物にもよりますが、日本のオーダーは中国から離れることができない会社が多いということです。
D, 我々の最もオーダーの多いお客さんは、“売れる商品を早く作る” そしてできるだけ安く!を徹底してしています。品質もかなりうるさいですが、オーダー決まってからは1ヶ月も生産時間はありません。それを僕らとともにやり切れるのは、そのブランド、お客さんの意識を共有できる中国の工場しかありません。値段は値段ですが、時間内にやりとげる、サンプルは早くて当然、、、とか工場のトップ(社長)のやる気次第です。頭が良くなくてはいけないとか、工場が管理が良くて品質が特別にいいとか、そういう問題ではなくて、ひたすらやるということです。時間をお客の要求に合わせれる、コストもだいたい合わせる、とにかく努力する、、。当然僕も厳しい意識を持たないといけませんが、このブランドのとんでもない要求に耐えれる“人”は 日本人のアパレル業の人から探すのも難しいわけで、中国の中でも奥地とか安くても時間がかかるとか、品質がどうにもならないとか、選択肢が限られます。よってこの条件を満点とは言わなくても 満たせるのが今の蘇州のメインの工場の社長だということです。彼と知り合ってから 2年ほど取引をして、彼に話を持ちかけてできる限り教育をしてきました。それからメインオーダーをやりだして3年目ですが、このオーダーは時間がない、言われた通りするしかない、というのは十分理解してくれています。それでもトラブルはあるのですが これをやるから僕らもオーダーをもらえるということです。お客さんの都合ではあるものの、ここまで厳しい条件をクリアできるのは中国の生産者の中でも限られた人しかいません。当然東南アジアにもすごい意識の高い人達はいると思いますが、今のところ近い中国でないといけないわけです。僕らの会社はそういう工場の人と良好な関係があってここまでやれたとも言えます。
E、例えば 上に書いた20年以上の付き合いのあるスワトーの工場の僕と同じくらいの歳の女性の社長が 生産拠点を去年から工賃が安く、優遇措置のある江西省に移して 今の所成功しています。ある程度時間がかかってもそれに適する大量で安いオーダーをする日本の会社があったからです。やり方次第ではまだやれるというのは事実です。
という過程を経て今の状態になっているわけです。これからの記事で以前や現在のエピソードなどを時々書いていこうと思っています。
昨日も 夜簡単な食事を工場の社長の安徽省出身のXさん(男性)としました。オーダーはコロナの影響で減っている、どうするか?いつもでる話題で、アイデアを出し合っています。3週間くらい前に “先物?”で玉ねぎを山東省で買って保管して時期が来たら売る、僕にも一緒に買わないか、と目を輝かせて笑って話していたのですが、実際 彼の仲間が畑を見に行って50万元分はもう買ってしまっている、とのこと。。。逞しいですよね。うまくいったら来年は一緒に買おう!!って。。
いけると思ったらすぐに行動、見習わないといけませんね。悲観的にならないところも。。今日も頑張るしかない!!
2021年6月3日